2019年11月5日火曜日

水噴射エンジン

かつてエンジンの燃焼室に水を噴射してエンジンの排熱で水蒸気にして膨張させることで、余った熱エネルギーを運動エネルギーにできないものかと思いついたことがありました。ガスタービンエンジンの排熱を使って蒸気タービンを回すガスタービンコンバインドサイクルのようなものをレシプロエンジンでも実現できないものだろうかと思ったためです。水は気化すると体積が1700倍に膨張しますので、燃焼室内に僅かに噴射するだけでも莫大な運動エネルギーを発生させます。これは蒸気機関でよく知られていることです。

エンジン冷却水は概ね90℃くらいで安定していますので、一旦エンジン冷却水としてエンジン排熱を回収した上で、それを燃焼室に噴射して気化させて膨張させれば僅かな熱量で大きな運動エネルギーを発生させることができますし、断熱効果もあるので熱効率が良くなるのではないかとか、あるいは、4気筒のうち2気筒だけ燃料を噴射して残り2気筒には高温のEGRの中に水を噴射して熱を回収しつつ運動エネルギーに変換して、それを2気筒づつ交互に繰り返すようなやり方なら、気筒休止と同様の燃料節約効果をもたらしつつ出力を増大させることができないかとか、さらにいえば、ディーゼルエンジンでは窒素酸化物を還元するために尿素水(アンモニア水溶液)を噴射する技術が広く採用されていますが、アンモニアは水よりも沸点が低いため、水を噴射して排熱を運動エネルギーに変換した後で、残った熱でアンモニアを噴射してさらに運動エネルギーに変換した上で、触媒に到達した時点で窒素酸化物を還元するのに使えないかとか(現状では尿素水は燃焼室ではなく触媒に噴射されています)、あったらいいな的なものはいろいろ思いつきます。

しかしそういうものを探しても市販車ではなかなか見つかりませんでしたので、世の中に存在しないのには何か理由があるのだろう、素人のいい加減な思いつきだけではうまくいかないような理由があるのだろうと思っていました。ロータリーエンジンだってHCCIだって理屈としてはわかるものの、簡単に実用化できるものではありません。エンジンの排熱利用の例として最も有名なのはターボチャージャーですが、排熱利用はタダではなくて掃気の悪化を通じて燃焼効率を悪化させているとのことで、掃気を悪化させないターボ式エンジンが実用化したのはつい最近のことです(そういえばダイナミック・プレッシャー・ターボはディーゼルエンジンに横展開されないのでしょうか)。

唯一実用化しているBMWの水噴射エンジンでは、水噴射で燃焼室の温度を下げることでノッキングを起きにくくして圧縮比を上げることでダウンサイジングターボの弱点を解消しています。直噴エンジンでは燃料噴射時に燃料が気化熱を奪うことでノッキング対策をしていますが、これを水に置き換えるものです(https://tech.nikkeibp.co.jp/dm/atcl/mag/15/397260/080200187/)。

東京工業大学と慶応義塾大学の研究グループは、水噴射によって燃焼室内で水蒸気の膜ができ断熱効果をもたらすことを発見しました(https://tech.nikkeibp.co.jp/atcl/nxt/column/18/00001/02695/?n_cid=nbpnxt_twbn)。熱損失を減らすことができればその分熱効率が向上します。

マツダが2018年8月に取得した特許では、高温高圧下で燃料と水とを反応させることで、燃料の一部を水素と一酸化炭素(一酸化炭素は酸素との結合力が強いので燃焼します。高炉では高炉ガスと呼ばれており、発電に用いられています)に改質し、このエンタルピーの高い燃料を燃焼させることでピストンを押し下げる力を強くして排熱回収するとあります(https://ipforce.jp/patent-jp-B9-6376190)。SACI燃焼(Spark Asisted Compression Ignition Combustion)を前提条件としていることから、Skyactiv-X開発の副産物のようで、実用化に成功すればSkyactiv-Xの改良型で実装されるかもしれません。しかし、特許公報には熱効率改善の定量効果についての記載はありません。

2019年のマツダ技報には「高温高圧雰囲気場における水添加が自着火・燃焼反応におよぼす影響」という論文があり、水噴射とEGRとの比較では、「水噴射の方がノッキング抑制効果が劣るだけでなく、自着火後に燃焼反応を活性化する効果がある」としています。ノッキング抑制が目的であればEGRを使えば良くて、水噴射を活用するなら別の目的でということなのでしょう。

エンジンに水を噴射すると燃焼室の中では様々な反応が起きているようで、水が気化して膨張するという単純な話ではないようです。

水噴射エンジンの既知の課題としては、凍結と腐食とがあり、保守に難があるため、レーシングカーならまだしも市販車で採用しにくいとされています。BMWのエンジンでは純水のタンクから直接噴射しているのに対して、エンジン冷却水を抽出して噴射すれば凍結の心配はないはずです。上記マツダの特許公報では、熱交換器を通して水を高温高圧にするとあります。腐食の問題は厄介で、100℃から300℃くらいの飽和水蒸気は湿っているため腐食をもたらしやすいです。原子力発電では燃料棒のジルコニウム被膜を溶かさないよう蒸気の温度を300℃くらいに抑えており、そのため原子力発電用の蒸気タービンでは腐食が課題です。通常、ボイラーではもっと温度の高い乾いた水蒸気を使います。水の噴射量が微量であれば水蒸気の温度を上げることは容易ですが、そうすると排熱をあまり回収できません。かといって排熱回収を重視して水蒸気温度を下げると腐食しやすくなりますので、エンジン側で腐食対策が必要かもしれません。