2016年6月30日木曜日

i-DMと自動運転

自動運転は、周囲に攪乱要因だらけの実際の公道を普通の速度で運転できるようになるのはまだまだ先のように見受けられますが、それでも他に車や軽車両や歩行者のいない道路を定められた通りに正確に運転するのは得意です。もともと事前にプログラムされた通りに正確に動作するのは機械の得意分野で、手作業よりもNC旋盤や3Dプリンターの方が正確に加工できますし、データ処理を大量かつ高速かつ正確にこなすのも人間よりも機械の方が得意です。だとすると、Gの滑らかな移動といった運転操作の物理的な最適化は実は人間よりも機械の方が得意なのではないかという気がしてきます。

例えば、テストコースの線形データを入力し、車の性能やタイヤのグリップ力や重量といったデータも入力し、起点と終点の位置や加速度の上限を設定すると、それに応じてGが滑らかに移動するような加速度を計算することで、最適なアクセル・ブレーキ・ハンドルの操作を算出することができます。実際には操安設計の際に徹底したチューニングが必要かもしれませんが、それでも一旦作りこんでしまえばあとはプログラムした通りに正確に動作することでしょう。路面の細かい凹凸までは線形データとして入力しきれませんが、Gベクタリングコントロールのような微小領域での制御と併用することで補正が利くのではないでしょうか。そうすると常にi-DMで青点灯するような運転が実現しますので、5.0点しか取れなくなることでしょう。

自動運転というと、いかにして実際の複雑な道路で自動運転を実現するかという方向に発想しがちですが、わざわざ機械が苦手な分野に挑戦するよりも、定型処理を狙い通りに実現する方が機械には向いているのではないでしょうか。

絵画の歴史は写実的に描くための技術の歴史でもあって、大きな美術館に行って時代別の展示を順に見ていくと徐々に技術が向上して写実的になっていくのが見て取れます。しかし、絵画とは全く異質な方法で光を捉えてそのままフィルムに焼き付け、それを印画紙に転写する写真という破壊的イノベーションが出現したことで、そのような努力が一気に飛び越えられてしまいました。もちろん、だからといって人力で描く絵画が完全に無意味になってしまったわけではありませんし、人力で絵を描くには一定の技術が必要であることにも変わりありませんが、それでも写実的に描くということを目的とするならば、それは人間よりも機械の方が得意です。

機械によって最適な制御を実現できる時代に人間が機械に近づこうと努力するのは一つのチャレンジとしては面白いかもしれませんが、人間はむしろ機械にできないことに注力した方が適材適所なのではないかという気がします。大抵のドライバーはi-DMで青点灯させるような運転はできませんが、それでも攪乱要因だらけの公道であまり事故を起こすことなく普通の速度で走行できていて、それは現時点では機械には到底真似のできないことです。